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ベランダ
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あなぐらパティオ

No.30, No.29, No.28, No.27, No.25, No.23, No.227件]

今日の休みは結構行動したな
昨日から仕込んだ生地でピザを焼き、友達とゲームをした。
今年の話とかゲームの話とか、もろもろ。
当たり前のことのように思えるが、友達とゲームを攻略するのは おもしろい。

友達が帰ってからは家の大掃除をした。
1階のお風呂以外のフローリングを拭いてワックスがけをした。
キッチン収納の溝や勝手口の桟など普段手を付けられない所も掃除ができて
とても満足だ。


掃除を重点的にやるので夕飯は手を抜いておかず無しで
ラーメンとかにしようといっていたのだけれど、
ラーメンの具にひき肉そぼろと白髪ねぎを作り出したあたりから
路線変更してしまった。結果、炒飯・ホルモン炒め・大根サラダを作った。
おかげでそのあとに予定していた買い出しの出発が
少し遅れたのだが、実績が増えたようで満足した。


朝から悪かった天候も出発時には治まりつつあり、
散歩がてら買い物ができたのも良かった。

出先で立派な南天の木を買えた事も結構満足のポイントとして高い。
帰宅してからはずっとギターを弾いていた。11月くらいからコードを
眺め始めた初心者も初心者で、左手の指先が痛いけど弾いているときは
あまり気にならないくらい楽しい。


とまあ今日は嬉しい楽しいが多い日でありました。
今年終わる~~~~!!!!終わったからなんだという事ではないけど
何歳になっても年末って…なんだこの忙しなさ~~~~。

とてもいいゆめをみた。
夢の中でたのしくて、コーヒーを飲んだ。
あたたかくてすこし胸が苦しかった。

ロールカーテンの隙間から日光が布団にあたると
この季節丁度良く暖められてよい夢をみるようにおもえます。
あたりまえ体操。あとは、身体のめぐりの調子かな。当たり前太宗…。


毎年のことながら仕事は休憩もできないくらい忙しくなってきた。
息をつく暇が本当に無い。前のシーズンより良くしようと努力しているが。

結局私は軽トラの荷台で好きなものの事を浮かべて過ごしたい。
ミニの車の助手席で好きなうたをうたっているのが好きなんだ。


じゃあ大きい車両は嫌いなのかと考えると、バスは好きだ。
車の中で本を読めるくらいには乗り物酔いをあまりしないし。
なんてしたって雨や雪の日のバスはとてもよい!
暖房がついているバスの事を想像しています。
足がちょっと強すぎるくらい温かくなって足元に置いた荷物の事も
どうでもよくなるくらいの気持ちの良さを思い起こします。


仕事はめちゃくちゃです。忙しい。
大きく落ち込むことは毎日ないけど、反省も多くなる。
姪より「君は毎日仕事をしている」と言われる。言われた日は休みだと返す。
まあまあ頑張っているのではないでしょうか。わたしも。
でも私に悪意をもってやってくる人に対してはまだ難しい。
上手くやれたとしても終わったあとに動悸が治まらない。
いつになれば大人になれるのか。

模様替えってやっぱり気持ちが晴れるな。
家族の1人が配置換えを嫌うのであまりできないが。
最近はなんとなく強迫性のものだと思うので強く否定しないようにした。
だとしても私は半年~1年位経ったら例えば机の位置を変えようかなとか
思う人間なので。
今日は仕事で休憩が取れなかったのでひぃひぃ帰宅したところ
リビングの一部が、実は先日提案した動きになっていて通りにおいて
晴れやかなわけだ。息苦しさが本当に和らいだ。

昨日は家の廊下にワックスをかけました。
2階だけだけど、これが何とも私には重労働でした。
置いてあるものを退かして、高い所から掃いて拭いて。
それでも妥協しなくてよかった。きれいになりました。2階の廊下だけ。
去年は1人で泣く泣く行ったので今年は早めに大掃除を進めていきたいです。



今はコミュニケーションを一休みする時期なのかもしれません。
というのはとても自分に都合のいい言い訳を考えだしたいだけとも
思いますが。
自分の舵がとれないというか、意思としてはどんどん動いていきたいと思っていても
もう一つの意識として、できるか?という問いかけがあります。
本当にもっともっと精力的に物事を処理したいと思っています。
反対する意識(動けるか・または動くのかという問い)に対し度々
「そんなことない」「今のは置いておいて!」と転換できるときもあります。
ただ、それが1週間、2週間と長く続けれるかと言えば、
あまりに脆いように感じます。
とりあえず例によりこの話は置いておこうと思います。



楽器を弾いたり吹いたりしているときが最近は楽しい。
すぐ指も痛くなるし、口も痛くなるしまだまだのところ。
でも音が出て耳に入ると演奏してるって実感があって楽しい。
楽しくて実感があって満たされる。
ほどほどに練習をしたい。


そういえば散歩も最近できていないなと気づく。
秋~冬の散歩もすき。前もどこかで打ったけど、
肌寒さと葉っぱの色とか海が緑で臭くない所とか。
存在してても良いよと許される気持ちになる。と思う。
どこかでやっぱり存在していたいというものがあるんだな。

どきどきする文章を読んだときの頭がビリビリする体験、
なんて、擬音だらけの表示だが。
これもまた人として生まれて良かったことの少ないひとつ。



ショート動画に対してやはり警鐘…と言えるほどしっかりした人間じゃないのだが
短時間でインタレストを惹こうとする動画にはやっぱり穴があると考えている。
皆が良いといっているから良いんだろう(多分)という意識はほとんどの人間が
持っているものだと思うし、それによって得られる良さもある。
ほぼ博打の行動だけど、信じていたものが良いものであった=審美眼が証明された
という満足感につながる。
確かなものと意見が重なれているのをみたら、まるで自分が大きくひろく物事を
感じ取れる人間だと簡単に錯覚してしまう。
件の動画のよろしくない点はそこで、ゆるく言えば「思うところ」の時間が
あまりない。



少しだけ、ここ2年位は周りの環境が変わっていくことにイライラすることが
多かった。現に今もないわけでなく。
それでも平たく考えてみれば自分も少しづつ変わっているのだと思えば
周りもイライラしているかなと思い、この苛つきを受け入れるとまではいかなくても
噛み砕くことまではなんとかできている。うーん、自己評価だからどうにもだけど。





短い動画も面白いものはおもしろいよ。
前にもどっかで書いたけど思想に関しては偏りすぎはよくない。
他の人が笑ってなくても自分が面白いところで笑いたいから
横が笑っているから笑ってみるは反射的にやっていると思っても惰性だと思っている。
もうこんなことを書いている時点で気持ち悪い文章だと分かる。
それでも偏りぎみに書かずにいられない気持ち悪さと生きていかなきゃならない。
無理かもしれない。
自分の気持ち悪い部分とどうやって生きていくかも考えて
それでも許せなかったら残念だけど。



昨日の休みは友達とお出かけした。
友達は日本各地を旅行するので色々な話を教えてくれてそれを聞くのが楽しい。
私の知らないところで町が動いている。
#日記

今日は何があるというわけじゃないが誕生日です。
希望も出していないので普通に仕事に行くだけですが
29までこんな脆いものが生きてきたことを少し褒めたい気持ちです。
職場のひとの誕生日もきいたら祝っている。何だかおもしろいから。






最近ワイヤレスイヤホン(散歩中に使う小さいもの)をダイソーで
購入しました。ダイソーというと100円が当たり前な自分にとっては
1000円の商品が売っているのは面白いです。

以下くコ:彡聴いている曲




自分が変わっていくことを感じて変に恐ろしくなること。



昨日から寒くなったので。ん-んはもう誰にも出せない。



家族から教えてもらった。みんなどこか帰りたいんだとおもう。
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好きな音楽を安心して聴けること、大切にしたい。

楽器を演奏すること、歌う事。
以下思い出かたり。


中学2年の吹奏楽部だったころ。

私が所属していたのは少人数の部活で、例えばトランペット2人、
フルート1人、クラリネット2人、みたいな部だった。
チューバは2人、パーカス3人。ユーフォ1人、トロンボーン2人、
ホルン1人、自分は1人の先輩とサックスを担当していた。
全員が全員やる気のある人間が集まる部とは言い難いし
まあ文化部が吹奏楽だけの学校だったので、ちゃんと音楽をやりたかった人に
申し訳ないがあとは言わずもがな運動部以外の人たちの部活だった。
私もそのうちの1人で中学へ行って運動が特別やりたいというわけでもなく
得意というわけでもなく。


しかしならずあの部活に入って後悔したみたいなことはないと今は思う。
悔しいことはいくつかあったけど入らなきゃよかったとはならなかったし
何より今でも特別に思い出せるものがある。
中学2年の大会前の総練習。
その日は朝から土砂降りだったのも、午前午後の練習だったのも覚えている。
午前は金管木管パーカスでパート練習。
お昼を食べて午後に合奏。
こういってはよろしくないかもしれないけど、何の気なしにというか
私にとってはいつもの練習という感じだった。
特別なホールでやるわけでもなく、小さな学校のなかにある
ワークスペース(クラス間での共有部分)での演奏。
それでもあの時、人と音楽をする楽しさのびりびりとした刺激を
私は感じたのだと思っている。

終わった瞬間、何秒間だけ皆静かだったのを覚えている。
なんだか、今、良かったって遅れ遅れで感じた。
この時午後の雨で外が暗くて、屋内の照明ですこし目がちかちかした。

指揮である顧問が何かコメントをしていたがそこは全然覚えてなくて
帰りの反省会をして、仲が良かった友達(同部)と帰り道を歩いていたら
「てかさ。なんか、今日の練習…良くなかった?!」
と友達が言った。
「…だよね!?」
沸々と思っていたことが友達の発言でより確かになったようで
とても嬉しかった。
好きな人間がいたとか褒めてくれる人が居たとか記憶補正はかかっているだろうけど。
あの時の演奏の終わったあとの空気のほどけ方が脳の隙間を痺れさせたこと、
未だにいわば快感として覚えている。


タイムマシンがあって見に行ったら左程でも無いとか
記憶の改ざんは人それぞれにやってくるものなので無きにしも非ずだけど
それでも未だに。良い記憶としてあるというのは喜ばしい。
現にまだ記憶を保持している友達が居る時点でまだ証明される。

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