昨日は家の廊下にワックスをかけました。2階だけだけど、これが何とも私には重労働でした。置いてあるものを退かして、高い所から掃いて拭いて。それでも妥協しなくてよかった。きれいになりました。2階の廊下だけ。去年は1人で泣く泣く行ったので今年は早めに大掃除を進めていきたいです。今はコミュニケーションを一休みする時期なのかもしれません。というのはとても自分に都合のいい言い訳を考えだしたいだけとも思いますが。自分の舵がとれないというか、意思としてはどんどん動いていきたいと思っていてももう一つの意識として、できるか?という問いかけがあります。本当にもっともっと精力的に物事を処理したいと思っています。反対する意識(動けるか・または動くのかという問い)に対し度々「そんなことない」「今のは置いておいて!」と転換できるときもあります。ただ、それが1週間、2週間と長く続けれるかと言えば、あまりに脆いように感じます。とりあえず例によりこの話は置いておこうと思います。ー楽器を弾いたり吹いたりしているときが最近は楽しい。すぐ指も痛くなるし、口も痛くなるしまだまだのところ。でも音が出て耳に入ると演奏してるって実感があって楽しい。楽しくて実感があって満たされる。ほどほどに練習をしたい。そういえば散歩も最近できていないなと気づく。秋~冬の散歩もすき。前もどこかで打ったけど、肌寒さと葉っぱの色とか海が緑で臭くない所とか。存在してても良いよと許される気持ちになる。と思う。どこかでやっぱり存在していたいというものがあるんだな。 favorite いいね ありがとうございます! 2024.11.28(Thu) 05:25:43 edit
どきどきする文章を読んだときの頭がビリビリする体験、なんて、擬音だらけの表示だが。これもまた人として生まれて良かったことの少ないひとつ。ショート動画に対してやはり警鐘…と言えるほどしっかりした人間じゃないのだが短時間でインタレストを惹こうとする動画にはやっぱり穴があると考えている。皆が良いといっているから良いんだろう(多分)という意識はほとんどの人間が持っているものだと思うし、それによって得られる良さもある。ほぼ博打の行動だけど、信じていたものが良いものであった=審美眼が証明されたという満足感につながる。確かなものと意見が重なれているのをみたら、まるで自分が大きくひろく物事を感じ取れる人間だと簡単に錯覚してしまう。件の動画のよろしくない点はそこで、ゆるく言えば「思うところ」の時間があまりない。少しだけ、ここ2年位は周りの環境が変わっていくことにイライラすることが多かった。現に今もないわけでなく。それでも平たく考えてみれば自分も少しづつ変わっているのだと思えば周りもイライラしているかなと思い、この苛つきを受け入れるとまではいかなくても噛み砕くことまではなんとかできている。うーん、自己評価だからどうにもだけど。短い動画も面白いものはおもしろいよ。前にもどっかで書いたけど思想に関しては偏りすぎはよくない。他の人が笑ってなくても自分が面白いところで笑いたいから横が笑っているから笑ってみるは反射的にやっていると思っても惰性だと思っている。もうこんなことを書いている時点で気持ち悪い文章だと分かる。それでも偏りぎみに書かずにいられない気持ち悪さと生きていかなきゃならない。無理かもしれない。自分の気持ち悪い部分とどうやって生きていくかも考えてそれでも許せなかったら残念だけど。昨日の休みは友達とお出かけした。友達は日本各地を旅行するので色々な話を教えてくれてそれを聞くのが楽しい。私の知らないところで町が動いている。#日記 favorite いいね ありがとうございます! 2024.11.10(Sun) 04:13:34 edit
今日は何があるというわけじゃないが誕生日です。希望も出していないので普通に仕事に行くだけですが29までこんな脆いものが生きてきたことを少し褒めたい気持ちです。職場のひとの誕生日もきいたら祝っている。何だかおもしろいから。最近ワイヤレスイヤホン(散歩中に使う小さいもの)をダイソーで購入しました。ダイソーというと100円が当たり前な自分にとっては1000円の商品が売っているのは面白いです。以下くコ:彡聴いている曲続きを読む 自分が変わっていくことを感じて変に恐ろしくなること。 昨日から寒くなったので。ん-んはもう誰にも出せない。 家族から教えてもらった。みんなどこか帰りたいんだとおもう。畳む好きな音楽を安心して聴けること、大切にしたい。楽器を演奏すること、歌う事。以下思い出かたり。続きを読む中学2年の吹奏楽部だったころ。私が所属していたのは少人数の部活で、例えばトランペット2人、フルート1人、クラリネット2人、みたいな部だった。チューバは2人、パーカス3人。ユーフォ1人、トロンボーン2人、ホルン1人、自分は1人の先輩とサックスを担当していた。全員が全員やる気のある人間が集まる部とは言い難いしまあ文化部が吹奏楽だけの学校だったので、ちゃんと音楽をやりたかった人に申し訳ないがあとは言わずもがな運動部以外の人たちの部活だった。私もそのうちの1人で中学へ行って運動が特別やりたいというわけでもなく得意というわけでもなく。しかしならずあの部活に入って後悔したみたいなことはないと今は思う。悔しいことはいくつかあったけど入らなきゃよかったとはならなかったし何より今でも特別に思い出せるものがある。中学2年の大会前の総練習。その日は朝から土砂降りだったのも、午前午後の練習だったのも覚えている。午前は金管木管パーカスでパート練習。お昼を食べて午後に合奏。こういってはよろしくないかもしれないけど、何の気なしにというか私にとってはいつもの練習という感じだった。特別なホールでやるわけでもなく、小さな学校のなかにあるワークスペース(クラス間での共有部分)での演奏。それでもあの時、人と音楽をする楽しさのびりびりとした刺激を私は感じたのだと思っている。終わった瞬間、何秒間だけ皆静かだったのを覚えている。なんだか、今、良かったって遅れ遅れで感じた。この時午後の雨で外が暗くて、屋内の照明ですこし目がちかちかした。指揮である顧問が何かコメントをしていたがそこは全然覚えてなくて帰りの反省会をして、仲が良かった友達(同部)と帰り道を歩いていたら「てかさ。なんか、今日の練習…良くなかった?!」と友達が言った。「…だよね!?」沸々と思っていたことが友達の発言でより確かになったようでとても嬉しかった。好きな人間がいたとか褒めてくれる人が居たとか記憶補正はかかっているだろうけど。あの時の演奏の終わったあとの空気のほどけ方が脳の隙間を痺れさせたこと、未だにいわば快感として覚えている。タイムマシンがあって見に行ったら左程でも無いとか記憶の改ざんは人それぞれにやってくるものなので無きにしも非ずだけどそれでも未だに。良い記憶としてあるというのは喜ばしい。現にまだ記憶を保持している友達が居る時点でまだ証明される。畳む favorite いいね ありがとうございます! 2024.11.6(Wed) 04:39:55 edit
夢の中で出てくる家で、前にも見たそして存在しない家。今日はその家が夢に再登場しました。山の上にあって木々に囲まれた家でどことなく自分の家の近くにあるという前提の家。壁は灰色で、一階部分は鉄骨?空間がある。大きく中心に向かった屋根があるその家は恐らく小さい頃何度か訪れた父親の友人の家(森の中にある)もしくは近くにある体育館のシルエットに近い。夢の中で私はその家の中に入る。入り口抜けてその建物の二階へ上がれば階段を上った正面にドアがある。右手には窓があったから家に入る前に見えた窓はこの窓だなと思った。多分あっていると思う(根拠も確認もない)自分の部屋でもないのにその部屋を勝手に開けるのだが4~5畳くらいの、現実で自分の部屋より縦も横も半周り小さいような部屋がある。右側にやはり窓が合ってそこから明かりが入るので暗すぎず明るすぎずなお部屋。左手は寝転がるスペースが小上がりのようになっていて天井は低いが、ここで寝ているんだなと思う。正面にはネイビーの板が張り付けてあり、部屋の主のコレクションがちまちまと並べられていた。板の下には小中学生の勉強机位のテーブルが置かれていてここで本を読んだり手紙を書いたりしているんだなと思った。誰がかは良く分からない。自分昔ここ来たな、懐かしいなと感じながら部屋の外に出た。部屋の外はまだ曇りの日の明るさだった。部屋を出て自分が上がってきた階段が当たり前にあるのだが右手に(上がってきた時は左手に)廊下がある。廊下の壁はモスグリーンに近くて暗い廊下だった。そのとき自分は「あっちは行った事、無いな」と思ってその暗い廊下、そして左に曲がる角を進んでしまった。人の家(だと思う)なのに。角を曲がってみて。そこにはまだ長い廊下があって右手に2つほどドアがついていた。「こっちは家族の部屋があるんだ」そう思って奥を見ると、廊下の先にはまだ右にも左にも抜ける廊下が続いていた。来ちゃいけないところかも、帰らなきゃいけないかも。とか思ったところで目が覚めた。自分の部屋に近いような配色だったから懐かしい気持ちになったのかもしれない。いや、なるかな?夢に言及したところで答えは分かりません。なんなら夢の話をしてもしょうもないんだからやめろとこれまで家族から言われてきたので確かに私の事をすきなような人以外にはしょうもない話だと思う。でも嫌な夢の部類ではなかったし、内容を、起きて仕事へ行って帰ってきても覚えていたのでメモをする。今日は有料サブスクに1つ加入しました。いつも同じ系統の動画ばかり、重ねて同じものを<ワンスモア>何回も見てしまうのでまあ1か月だけ楽しむにしてもタバコ買う位の価格だったのでみたいもの全部見終えたら解約するかたちで。#日記#夢 favorite いいね ありがとうございます! 2024.11.3(Sun) 03:20:14 edit
2階だけだけど、これが何とも私には重労働でした。
置いてあるものを退かして、高い所から掃いて拭いて。
それでも妥協しなくてよかった。きれいになりました。2階の廊下だけ。
去年は1人で泣く泣く行ったので今年は早めに大掃除を進めていきたいです。
今はコミュニケーションを一休みする時期なのかもしれません。
というのはとても自分に都合のいい言い訳を考えだしたいだけとも
思いますが。
自分の舵がとれないというか、意思としてはどんどん動いていきたいと思っていても
もう一つの意識として、できるか?という問いかけがあります。
本当にもっともっと精力的に物事を処理したいと思っています。
反対する意識(動けるか・または動くのかという問い)に対し度々
「そんなことない」「今のは置いておいて!」と転換できるときもあります。
ただ、それが1週間、2週間と長く続けれるかと言えば、
あまりに脆いように感じます。
とりあえず例によりこの話は置いておこうと思います。
ー
楽器を弾いたり吹いたりしているときが最近は楽しい。
すぐ指も痛くなるし、口も痛くなるしまだまだのところ。
でも音が出て耳に入ると演奏してるって実感があって楽しい。
楽しくて実感があって満たされる。
ほどほどに練習をしたい。
そういえば散歩も最近できていないなと気づく。
秋~冬の散歩もすき。前もどこかで打ったけど、
肌寒さと葉っぱの色とか海が緑で臭くない所とか。
存在してても良いよと許される気持ちになる。と思う。
どこかでやっぱり存在していたいというものがあるんだな。