今日は何があるというわけじゃないが誕生日です。希望も出していないので普通に仕事に行くだけですが29までこんな脆いものが生きてきたことを少し褒めたい気持ちです。職場のひとの誕生日もきいたら祝っている。何だかおもしろいから。最近ワイヤレスイヤホン(散歩中に使う小さいもの)をダイソーで購入しました。ダイソーというと100円が当たり前な自分にとっては1000円の商品が売っているのは面白いです。以下くコ:彡聴いている曲続きを読む 自分が変わっていくことを感じて変に恐ろしくなること。 昨日から寒くなったので。ん-んはもう誰にも出せない。 家族から教えてもらった。みんなどこか帰りたいんだとおもう。畳む好きな音楽を安心して聴けること、大切にしたい。楽器を演奏すること、歌う事。以下思い出かたり。続きを読む中学2年の吹奏楽部だったころ。私が所属していたのは少人数の部活で、例えばトランペット2人、フルート1人、クラリネット2人、みたいな部だった。チューバは2人、パーカス3人。ユーフォ1人、トロンボーン2人、ホルン1人、自分は1人の先輩とサックスを担当していた。全員が全員やる気のある人間が集まる部とは言い難いしまあ文化部が吹奏楽だけの学校だったので、ちゃんと音楽をやりたかった人に申し訳ないがあとは言わずもがな運動部以外の人たちの部活だった。私もそのうちの1人で中学へ行って運動が特別やりたいというわけでもなく得意というわけでもなく。しかしならずあの部活に入って後悔したみたいなことはないと今は思う。悔しいことはいくつかあったけど入らなきゃよかったとはならなかったし何より今でも特別に思い出せるものがある。中学2年の大会前の総練習。その日は朝から土砂降りだったのも、午前午後の練習だったのも覚えている。午前は金管木管パーカスでパート練習。お昼を食べて午後に合奏。こういってはよろしくないかもしれないけど、何の気なしにというか私にとってはいつもの練習という感じだった。特別なホールでやるわけでもなく、小さな学校のなかにあるワークスペース(クラス間での共有部分)での演奏。それでもあの時、人と音楽をする楽しさのびりびりとした刺激を私は感じたのだと思っている。終わった瞬間、何秒間だけ皆静かだったのを覚えている。なんだか、今、良かったって遅れ遅れで感じた。この時午後の雨で外が暗くて、屋内の照明ですこし目がちかちかした。指揮である顧問が何かコメントをしていたがそこは全然覚えてなくて帰りの反省会をして、仲が良かった友達(同部)と帰り道を歩いていたら「てかさ。なんか、今日の練習…良くなかった?!」と友達が言った。「…だよね!?」沸々と思っていたことが友達の発言でより確かになったようでとても嬉しかった。好きな人間がいたとか褒めてくれる人が居たとか記憶補正はかかっているだろうけど。あの時の演奏の終わったあとの空気のほどけ方が脳の隙間を痺れさせたこと、未だにいわば快感として覚えている。タイムマシンがあって見に行ったら左程でも無いとか記憶の改ざんは人それぞれにやってくるものなので無きにしも非ずだけどそれでも未だに。良い記憶としてあるというのは喜ばしい。現にまだ記憶を保持している友達が居る時点でまだ証明される。畳む favorite いいね ありがとうございます! 2024.11.6(Wed) 04:39:55 edit
希望も出していないので普通に仕事に行くだけですが
29までこんな脆いものが生きてきたことを少し褒めたい気持ちです。
職場のひとの誕生日もきいたら祝っている。何だかおもしろいから。
最近ワイヤレスイヤホン(散歩中に使う小さいもの)をダイソーで
購入しました。ダイソーというと100円が当たり前な自分にとっては
1000円の商品が売っているのは面白いです。
以下くコ:彡聴いている曲
自分が変わっていくことを感じて変に恐ろしくなること。
昨日から寒くなったので。ん-んはもう誰にも出せない。
家族から教えてもらった。みんなどこか帰りたいんだとおもう。
畳む
好きな音楽を安心して聴けること、大切にしたい。
楽器を演奏すること、歌う事。
以下思い出かたり。
中学2年の吹奏楽部だったころ。
私が所属していたのは少人数の部活で、例えばトランペット2人、
フルート1人、クラリネット2人、みたいな部だった。
チューバは2人、パーカス3人。ユーフォ1人、トロンボーン2人、
ホルン1人、自分は1人の先輩とサックスを担当していた。
全員が全員やる気のある人間が集まる部とは言い難いし
まあ文化部が吹奏楽だけの学校だったので、ちゃんと音楽をやりたかった人に
申し訳ないがあとは言わずもがな運動部以外の人たちの部活だった。
私もそのうちの1人で中学へ行って運動が特別やりたいというわけでもなく
得意というわけでもなく。
しかしならずあの部活に入って後悔したみたいなことはないと今は思う。
悔しいことはいくつかあったけど入らなきゃよかったとはならなかったし
何より今でも特別に思い出せるものがある。
中学2年の大会前の総練習。
その日は朝から土砂降りだったのも、午前午後の練習だったのも覚えている。
午前は金管木管パーカスでパート練習。
お昼を食べて午後に合奏。
こういってはよろしくないかもしれないけど、何の気なしにというか
私にとってはいつもの練習という感じだった。
特別なホールでやるわけでもなく、小さな学校のなかにある
ワークスペース(クラス間での共有部分)での演奏。
それでもあの時、人と音楽をする楽しさのびりびりとした刺激を
私は感じたのだと思っている。
終わった瞬間、何秒間だけ皆静かだったのを覚えている。
なんだか、今、良かったって遅れ遅れで感じた。
この時午後の雨で外が暗くて、屋内の照明ですこし目がちかちかした。
指揮である顧問が何かコメントをしていたがそこは全然覚えてなくて
帰りの反省会をして、仲が良かった友達(同部)と帰り道を歩いていたら
「てかさ。なんか、今日の練習…良くなかった?!」
と友達が言った。
「…だよね!?」
沸々と思っていたことが友達の発言でより確かになったようで
とても嬉しかった。
好きな人間がいたとか褒めてくれる人が居たとか記憶補正はかかっているだろうけど。
あの時の演奏の終わったあとの空気のほどけ方が脳の隙間を痺れさせたこと、
未だにいわば快感として覚えている。
タイムマシンがあって見に行ったら左程でも無いとか
記憶の改ざんは人それぞれにやってくるものなので無きにしも非ずだけど
それでも未だに。良い記憶としてあるというのは喜ばしい。
現にまだ記憶を保持している友達が居る時点でまだ証明される。
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